パンフルートは数千年前にギリシャで演奏されていました。この他に中国、南米等にあったようですが、それらの起源が同じであるかどうかは分かっていません。日本の正倉院の御物の中にもあります。これは、シルクロードを通って伝わったものと思われます。
ギリシャ神話の中では、半獣半人の神、パンが妖精シュリンクスに恋をしますが、いやがるシュリンクスは河辺に逃げ、そこで葦に身を変えて隠れてしまいます。シュリンクスを見失ったパンが悲しみにくれ、そこにあった葦を切って笛を作り吹いたのがパンフルートの始まりということになっています。どうも、あまりかっこうのいい神さまではありませんね。ギリシャ神話では、パンの神が、アポロの神と演奏の競争をいどみ、アポロのたて琴に負けてしまうなどという話もあります。
このパンフルートは、パイプオルガンの先祖となりますが、パンフルート自身は歴史nの表舞台からは消えてしまいます。モーツアルトのオペラ「魔笛」で鳥刺パパゲーノが吹いているのはパンフルートですが、実際にはオーケストラのフルートが演奏をしています。モーツアルト自身はおそらくパンフルートを見たことはなく、伝説上の楽器と考えていたと思います。
しかし、ヨーロッパの片隅の小国、ルーマニアでは、羊飼いたちのあいだに細々とつたわり、民族音楽を演奏する楽器となっていました。今世紀になってから、ルーマニアでこの楽器を見直す動きが起こり、ファニカ・ルカを教授として国立の音楽大学で正課として取り上げられるようになったそうです。そして、その中から何人もの名人がうまれ、戦後、ザンフィルが西側で演奏活動を始めたことにより、ヨーロッパ全体にパンフルートが再び知られるようになりました。その時、ザンフィルの演奏に衝撃を受けた一人にスイスのヨリ・ムルクがおり、ザンフィルは彼に演奏法のみならず、製法も教授しました。ムルクは多くの弟子を育て、現在、スイスは世界でもっともパンフルートを楽しむ人が多い国となっています。
「パンフルートの世界」へ戻る